会計の歴史

カテゴリー:簿記知識 |

今回は簿記の歴史についてみていきます。

現在の簿記の原型は、16世紀のヨーロッパにあります。中世ヨーロッパのベネチア式簿記を、ルカ・パチョーリという数学者がズンマという本で紹介し世界に広まりました。

ルカ・パチョーリって皆さんご存じですか?
実は、ルカ・パチョーリはレオナルド・ダヴィンチのお友達で、なんとダヴィンチの数学の先生でもありました。その証拠に著書ズンマの中にはダヴィンチの挿絵などもたくさん載っているようです。

冒険商人

中世ヨーロッパでは、コロンブスやバスコ・ダ・ガマなどの冒険商人たちが活躍しました。富裕層からお金を集め、そのお金で船を造り、船員を雇い、当時高級品だったスパイスを求めて、海図を手に意気揚々と出航しました。

えっ、海図???

そうです。ヨーロッパの冒険商人たちは海図をもっていたのです。ではその海図はどこから?
15世紀初頭の中国、永楽帝の時代に、鄭和(ていわ)という宦官が27,000人もの大船団を組んで7回にわたり世界を巡って海図を作りました。冒険商人たちはその海図をもって、冒険ではなく商売に出かけた!というのが本当のところみたいですよ。

そして、コロンブスなどの冒険商人たちが航海から戻り、手に入れたスパイスなどを売って、得たお金のうちから出資者に分け前(配当金)を分配しました。帰ってこなかった船もたくさんあったようです。

東インド会社

そうこうしているうちに世界最初の株式会社である東インド会社(イギリス1600年、オランダ1602年の2社ありました)が設立(地に足をつけて商売すること)され、現在の株式会社の原型ができました。最初の決算は半年後だったそうですが、2回目の決算は70数年後になりました。配当金は出資者ではなくその子孫たちに支払われることになりました。そこで会計期間という概念が生まれました。現在の会計期間は原則1年となっています。

日本の会計

西洋式の会計を日本に持ち込んだのは福沢諭吉先生です。明治6年に出版した「帳合之法」によって紹介され、いの一番に導入・採用したのは銀行でした。銀行では、預金者をノートの右側の頁に「(銀行にお金を)貸してくれた方」を記帳し、融資先はノートの左側の頁に「(銀行のお金を)借りてくれた方」と記帳しました。それが今日の「借方」、「貸方」の名前の由来となっています。

日本、アメリカそしてヨーロッパ

日本は高価な高級品を扱う百貨店に例えられ、アメリカは量が多くて安いスーパーマーケットに例えられました。そしてヨーロッパはいろいろな物を売る商店の集まり、すなわち商店街と例えられました。きっと、皆さんのお住いの近くにも、このうちの全部または一部があると思いますがいかがでしょうか?
でも、商店街のヨーロッパにはとても大きな問題がありました。そうです!隣のお店とうちのお店では通貨が違ったのです。そこで統一通貨のユーロ(€)が生まれました。さあ!これでうまくいく!と思っていたのですが、商店街の店主の仲が悪くなり離脱する商店が…。これからどう変わっていくのか見守る必要があります。

世界の会計

さて上記の例から世界の会計を考えれば、「日本の会計」、「アメリカの会計」そして「ヨーロッパの会計(IFRS)」の3つに大別されます。日本のバブル景気のころは「日本の会計」が世界標準(東京23区内の土地でアメリカ全土が買えました)でした。その後日本のバブルははじけ、アメリカではリーマンショックが起き、現在の世界標準はヨーロッパの会計(IFRS)となっています。世界100か国以上がヨーロッパの会計(IFRS)を採用しています。そのため今ではヨーロッパの会計を中心に一元化が進んでいます。

まとめ

日本の会社がアメリカに進出したとします。その際アメリカの金融機関などから資金調達する必要がありますが、そのためには「アメリカの会計」での財務諸表(資料)を提出しなけばお金を貸してくれません。もしヨーロッパに進出するとしたら…。同じことが言えます。ヨーロッパの金融機関などから資金を調達するには「ヨーロッパの会計(IFRS)」の財務諸表を提出する必要があります。3つの会計の財務諸表は作るだけでも大変です。そこで世界標準の登場です。「ヨーロッパの会計(IFRS)」の財務諸表を提出すると日本でもアメリカでもヨーロッパでも資金調達ができるのです。

便利ですね。このIFRSを国際財務報告基準といいます。これからの日本の会計はIFRSによる法改正が必須となります。大きな視野で勉強していきましょう!